日本あちこちめぐり"ささっぷる"

休日に街をあてもなく歩き回って撮った下手糞な写真をだらだらと載せながら綴る、お散歩ブログ。 東京や近郊メインも、ごくまれに遠方にも出かけています。 観光案内には全くなっておりませんのであしからず。

遊里奇譚
古い街並みとは別に、遊里跡(遊廓・赤線・青線・花街・カフェー街)をぶらりとあてもなく歩いて、とりとめもなく採り続けてきた写真の記録です。(観光案内になっていませんのであしからず)。
こうした街並みは時代と共に消えゆく運命で、以前歩いた場所も何かしらの理由で消えたり、新しい別の建物に替わったりとなってゆきます。
拙い写真ですが、こういう町並みが過去にあったという記録になれば。

★KENTAの写真創庫★
東京や近郊(ごくまれに遠方)を中心に散歩がてらデジカメ📷で下手糞な写真を撮り続けています。
人様にお見せするというよりは、忘備録的なアルバムとなっています。

タテモノめぐり
建物の写真ばかりを撮ったtumblrブログです。

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(東京都中央区築地「築地場外市場」)2018年まで中央卸売市場があったことで「魚河岸」のイメージが強い「築地」。豊洲に市場が移ってからも場外市場は健在で、コロナ自粛後も人出が目立つ。ところで「築地」という地名、元々は「埋立地」を意味する言葉で、実際にこの地も ...

(東京都新宿区歌舞伎町)もはや説明不要の東京、いや日本を代表する大歓楽街「歌舞伎町」。その町名の由来は、戦災に見舞われたこの地の復興計画の一環として、歌舞伎の演舞場を建設し、これを中心とした芸術施設を集め、家族向けの健全な繁華街をつくるというものからきて ...

(東京都新宿区新宿二丁目)日本最大の大歓楽街「歌舞伎町」を擁し、世界最多の乗降者数を誇る大ターミナル「新宿」。その街の起源は江戸四宿の一つ「内藤新宿」に遡る。もともと甲州街道の最初の宿駅が「高井戸宿」だったが、日本橋から四里二町(約16㎞)も離れていた。そ ...

(東京都千代田区丸の内)鉄路で首都の玄関口といったら「東京駅」。その東京駅と皇居に挟まれているエリアが「丸の内」だ。ところで、東京駅周辺の地図をよ~くご覧いただきたい。線路を挟んで「丸の内」と「八重洲」「日本橋」、町の区割りが対照的なのがお判りいただける ...

(東京都台東区千束四丁目「吉原」)前編からの続き、新吉原遊廓の散策。現在は「台東区千束四丁目」という地番だが、住居表示変更前は「新吉原」を冠した町名だった。大門から貫く中央の通りがメインストリートで「仲之町通り」と呼ばれていた。その両側に「江戸町一丁目」 ...

(東京都台東区千束四丁目「吉原」)緊急事態宣言が出る前の浅草からてくてく歩いて、ついに「吉原」へ。現在の地番に「吉原」の名前はなく、「浅草新吉原」と冠した町が住居表示改正で「台東区千束四丁目」とひとまとめになっている。上の地図で、千束(四)にあたる箇所が ...

(東京都台東区日本堤)コロナ禍のせいで外出自粛要請が出たことで、それまで外国人ばかりでゴミゴミしていた浅草が一転して人通りが少なくなった。しかし、かつてはこれが普通だった記憶があり、改めてインバウンドの力の恐ろしさを知る。そんな浅草を歩き、更にかつての遊 ...

(東京都台東区浅草)巷ではコロナウィルス禍が話題になり、ついに小池東京都知事が会見で週末の外出自粛を呼びかける会見を開いた。あくまでも自粛の"お願い"であって"禁止"ではないので、別に出かけること自体は悪いことではない。「非常事態宣言」が出るかどうかの瀬戸際 ...

(東京都渋谷区宇田川町)「コロナ」禍も関係なく、若者でごった返す街「渋谷」。前回は旧花街「円山町」や繁華街の道玄坂「百軒店」の残り香を求めながら起伏の富んだ街を歩いてきた。今回は若者が闊歩する「センター街」周辺、正直云うと人通りの多さに辟易してしまいそう ...

(渋谷区道玄坂「道玄坂小路」)新宿、池袋と並び「副都心」と称される「渋谷」。江戸時代までは大山街道沿いののどかな集落という感じだったが、明治時代に入ると「弘法湯」と呼ばれた鉱泉が湧き出たことで附近の円山町に三業地ができ、それに隣接して「百軒店」と呼ばれる ...

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