港陽園
港陽園 posted by (C)佐々張ケン太

名古屋四大赤線、ここまで「名楽園」(中村遊廓)「八幡園」を取り上げてきたが、今回は「港陽園」。
その名の通り、港町の赤線ですが、その起源は近くの別の場所にあった遊廓でした。
戦前に名古屋市には2つの遊廓が存在し、一つ目が前に触れた「中村遊廓」でしたが、もう一つ「稲永遊廓」というのがありました。
現在の港区錦町という場所にあり、『全国遊郭案内』によれば貸座敷46軒に娼妓約400人という規模でしたが、その中には「十七連妓」の一つ「南連」という花街があったそうです(『全国花街めぐり』)。
尤もその「南連」、「五連妓」「十三連妓」に含まれていないので場末の花街だったようですが。
その業者が戦後に移転してできたのが今回の「港陽園」で、その場所柄ゆえに客層は船乗りが中心だったそうです。
『全国女性街ガイド』によれば、

戦前の稲永廓がちょっと移転したもので四十七軒に二百二十名。港区港陽町一帯。
という感じでした。



スクリーンショット (12)

「港区港陽」は現在も地番として残っており、上の地図を見ると小さい緑地帯を軸に円弧を描くような形で存在しています。
そして、やはり人工的に直行させた区画が残っているのが分かります。
その一帯が当時の「港陽園」だったと思われます。




港陽園
港陽園 posted by (C)佐々張ケン太

最寄り駅は名古屋市営地下鉄の築地口駅(赤線があった当時は地下鉄でなく市電の停留所だった)。
そこから東に進んだ場所に、広い通りの真ん中にロータリーの緑地帯が見えるが、そこが目印だ。
因みに、木村聡氏の『色街百景』に出ていた「港新世界商店街」と書かれた看板は取っ払われてしまったようだ。



港陽園
港陽園 posted by (C)佐々張ケン太

周囲にマンションや倉庫が建ち並ぶなかで、数少ない遺構が一軒。
明らかに妓楼のような外観で、しかも、遠目で見ても目立つ。



港陽園
港陽園 posted by (C)佐々張ケン太

壁一面には赤やピンクの系統の色で統一された豆タイルがびっしりと貼り詰められている。
玄関に「かもめ」と書かれていて、往時の屋号と思われる。
冒頭写真を見ると、2階に波打つ海の上にかもめが飛んでいる様子を描いたような透かし彫りの手摺りがある。


港陽園
港陽園 posted by (C)佐々張ケン太

赤線廃止後は旅館を経てアパートに転業、現在も住人が健在である。
さび錆の古い看板には「炊事場付の貸間有ります かもめアパート」とあるが、よく見ると絵は上書きしたものである。
その下に文字が見えるが、何と書いているのかはっきり読み取れない。
もしかすると、その前は旅館だったのかも知れない。


港陽園
港陽園 posted by (C)佐々張ケン太

訪問した当時は、別の場所にもカフェー建築が一軒残っていた。
実はこの建物、既に解体されており、今では見ることができない。



港陽園
港陽園 posted by (C)佐々張ケン太

前面にタイル張りの装飾、SNACKという文字の看板。
しかし、営業していない様子だった。


港陽園
港陽園 posted by (C)佐々張ケン太

こちらが住居部の玄関か。
「鳩の街」で触れたいまはなき「桜井」と同じような数寄屋帳の引き戸だ。



港陽園
港陽園 posted by (C)佐々張ケン太

スナックの店名は"B.G.M"だったらしい。
しかし、訪れた時点でこんな感じだったから、遠からず消えゆく運命だったのだろう。



港陽園
港陽園 posted by (C)佐々張ケン太

その裏手には妓楼建築のような住居が一軒残っていた。
しかし、これもストリートビューで確認したら既に消えていたようで、結局今残っているのは冒頭の「かもめアパート」だけとなっている。
住人がいなくなれば、唯一の遺構も早々と見られなくなるだろう。

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