城東園
城東園 posted by (C)佐々張ケン太

名古屋市内に存在していた4つの赤線、前回までそのうちの3つ(名楽園八幡園港陽園)を取り上げましたが、今回はラスト「城東園」。
名古屋城の東にあるからそういう名前なんでしょうが、『全国女性街ガイド』によれば

北区長田町にあり俗にいう大曾根。百五十六軒三百六十名。
と、情報はたったこれだけ。
名古屋の赤線に関しては、名楽園は詳細かつ大々的に紹介する一方で、他の3つはかように短め。
引用にあるように、大曾根駅が最寄り駅で「長田町」という地番も現存しているので、それを手がかりに歩いていくと、東長田町に戦災から免れた遊里の痕跡と思しき街並みに出くわします。
では、これが城東園かというと、実はちょっと違うんですね。
実は先日、国会図書館で愛知県の遊里について調べていると、何と『愛知県史』で「大曽根城東園」の項丸々取り上げられていたのを発見。
それによると、昭和初期に形成された私娼街だったそうで、以下前掲書から引用。

不況の時代、瀬戸電(名鉄瀬戸線)の駅付近で客を引く女性たちが現れ、森下から矢田にかけて間口一間半から二間ばかりの私娼窟が作られていたが、昭和六年、この「大曽根魔窟」の女性たちはいっせいに検挙されることになった。この間、大曽根の西、下飯田に出現したのが城東園である。当初は田の中にあったので「田んぼ」と呼ばれ、現在の杉栄町の南北の通りをメインに、東西二筋くらいの細い道に一〇〇軒ほどの店があったという。大曽根で市電を降り、大曽根本通の西の屋台街で飲んだ後、スズラン通りを西に抜け、城東園で遊ぶというのが一つの流れであった。
城東園が戦前にできた私娼街から戦後に移行した赤線ということ、その場所が杉栄町だということが明らかになっています。
では、東長田町にあった遊里の痕跡は何かということですが、実は『全国花街めぐり』によると、「十三連妓」の一つとして「和合連」という花街が存在していたといいます。
和合連 市の北東部大曾根町に在り、大曾根芸妓ともいふ。
実際に、最近まで登録有形文化財として残っていた格式高い料亭「十州楼」もあり、『全国花街めぐり』でもその名前が取り上げられています。
もしかすると、「和合連」の名残りだったのかも知れません。



上の地図で位置関係を大雑把に整理すると、城東園の原点だった私娼街が 森下から大曽根にかけての名鉄瀬戸線(かつては”瀬戸電”と称していた)沿いにあり、一斉摘発を受けて下飯田町に「城東園」が出現し、後に杉栄町中心に赤線として拡大という感じでしょうか。
それとは別に花街「和合連」があったという位置づけで、どうやらこれ、前に紹介した
亀戸の例に似ています。
あちらも花街と私娼街起源の赤線が隣り合っていましたからね。
しかし、近年までは情報が少なく謎の赤線のような扱いだったのが、
ウィキペディアにまで取り上げられるから、情報の進化に驚かされます。




城東園
城東園 posted by (C)佐々張ケン太
城東園
城東園 posted by (C)佐々張ケン太

大曾根駅から西、スズラン通りを経て東長田町を手がかりに進むと、確かに古い遊里のような街並みに出くわす。
これが「城東園」だと思っていたらちょっと違うみたいで、もしかすると「和合連」の名残りなのかもしれない。


城東園
城東園 posted by (C)佐々張ケン太

戦前の「和合連」が格式高い「五連妓」でなく「十三連妓」の一つだったということは、料亭と共にこうした場末の飲食街もあったのではないかと思われる。


十州楼
十州楼 posted by (C)佐々張ケン太

訪問当時に残っていた「和合連」の代表的な料亭「十州楼」の在りし日の姿。
屋号はかつての贔屓客だった伊藤博文が名付け親だというから、いかに格式高い料亭だったか。
昭和11年築の登録有形文化財指定も、いとも簡単に取り壊される。
これでは中村遊廓の代表的な妓楼もなくなるわけだ。



城東園
城東園 posted by (C)佐々張ケン太

ストリートビューでこの辺りを見てみると、確かに訪問当時とは変わっていて古い街並みは少なくなっている感じだ。


城東園
城東園 posted by (C)佐々張ケン太

さて、いよいよ城東園のメインストリートに入る。
この通りを中心に東西にカフェー街が広がっていたという。
その名残りなのか、バス停前に大人のお風呂屋さんもある。



城東園
城東園 posted by (C)佐々張ケン太

「松竹」というと映画を思い出すが、どう見ても映画館ではなくカフェーだろう。
看板は元々縦書きだったようで、それらしき跡も見える。



城東園
城東園 posted by (C)佐々張ケン太

その向かい側にもカフェー建築風の建物。
かつてはこの通り沿いにこうした建物が並んでいたというのだろう。



城東園
城東園 posted by (C)佐々張ケン太

メイン通りの西側には、スナックが入っている如何にも大店の妓楼っぽいのが残っていた。



城東園
城東園 posted by (C)佐々張ケン太

2階の手摺には屋号と家紋のようなのが見える。


城東園
城東園 posted by (C)佐々張ケン太


こうした建物が周辺に多く存在していたんだろうなあ。
ウィキペディアによれば、杉栄町だけでなく、東の水切町、西の生駒町まで特殊飲食店街が広がっていたそうだ。
それを思えば、前述の『全国女性街ガイド』にある156軒360名という規模は確かにデカい。



城東園
城東園 posted by (C)佐々張ケン太 

名楽園 88軒843名
八幡園 68軒324名
港陽園 47軒220名
城東園 156軒360名


上に並べたのが『全国女性街ガイド』で書かれていた4か所の赤線の規模である。
店の数でいえば、日本一を自称していた中村遊廓こと名楽園を上回っているし、従業員の数もそれに次ぐ多さである。
そんな大赤線の情報がどうして近年まで少なかったのだろう。 



城東園
城東園 posted by (C)佐々張ケン太

こちらはメイン通りに並行した東側の通り。
狭い通りにカフェーの遺構が建ち並んでいる。



城東園
城東園 posted by (C)佐々張ケン太

散策していた時、外装の工事をしていたのを出くわした。
ということは、まだまだ大丈夫なんだろう。
右側の建物の入口には冒頭写真のようなバーの鑑札と「二十才未満の方は云々」と書かれたプレートが掛かっていたが、何よりも赤いブラケットが妖しい。



城東園
城東園 posted by (C)佐々張ケン太

カフェーと向かい合うように建っているて転業らしき旅館もあった。
しかし、かような場所で需要とかあるんだろうか。


城東園
城東園 posted by (C)佐々張ケン太
 
こちらのバー、夜ともなれば”Reinbow"のネオンが光るだろうか。



城東園
城東園 posted by (C)佐々張ケン太

赤線としての城東園は昭和33年の売春防止法施行で幕を閉じたのだが、その後も旅館やバーといった業態に転業しながら命脈を保ち続けてきたのだろうか、そう思われても不思議でない程に名残りが見られる。
因みに、昭和50年頃迄「城東園」と書かれたアーチが残っていたらしい。



城東園
城東園 posted by (C)佐々張ケン太

中村遊廓を凌ぐほどの規模だったにもかかわらず謎多き色里と言われてきた「城東園」。
近年は遊廓や赤線探訪のサイト、更にはウィキペディアで取り上げられるように、少しずつその概要も明らかになっていった。
しかし、それに反比例するがごとく、往年の遺構は少なくなっていく。



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