中央菓子卸問屋
中央菓子卸問屋 posted by (C)佐々張ケン太

前回の四間道に続き、円頓寺商店街を向かうのだが、その途中に立ち寄りたい場所があったので、今回はその話。
実は2016年4月に一度立ち寄ったことがあるのだが、あれから5年経とうとしたいまどうなっているのか気になっていたのだ。


注・ギャプションの☆印がついているのが2016年4月のもの、無印は今回(2020年1月)のものです。


明道町交差点
明道町交差点 posted by (C)佐々張ケン太

円頓寺商店街から北に外れた場所にある明道町交差点。
高速道路の高架が上を通っているが、ここから目的の建物を見ることができる。



スクリーンショット (26)

上の地図を見てもわかるように、前回の四間道、円頓寺商店街からかなり近い。
当然ながら、名古屋駅からも徒歩圏内といえそう。
地下鉄なら浅間町か国際センターが最寄り駅か。
なお、「明道町」というのはかつて存在していた町名で今は現存せず、現在の西区新道、幅下にわたる一帯を指す。


中央菓子卸市場
中央菓子卸市場 posted by (C)佐々張ケン太

その目的の建物はいまも変わらない姿で残っていてくれた。



中央菓子卸市場
中央菓子卸市場 posted by (C)佐々張ケン太

その名も、「中央菓子卸市場」。
まるで表彰台のような山の形をしたさび錆トタン、真ん中には手書きで「中央菓子卸問屋」という文字。
そして、真ん中の窓にはラッパ型のスピーカー。
庇のテントも相当の年季かボロボロになっている。
シャッターが閉じられているが、それは元旦だったから。
決して閉鎖されていたわけではない(と思う)。


中央菓子卸問屋
中央菓子卸問屋 posted by (C)佐々張ケン太

☆で、2016年4月に訪れた当時のもの。
この日は平日だったので、店頭にいろいろ箱などが積まれている。


 中央菓子卸問屋
中央菓子卸問屋 posted by (C)佐々張ケン太

☆恐らく建てられたのは戦後まもなくだろう。
歴史について詳しい情報をググってみてもはっきりは分からなかった。



中央菓子卸問屋
中央菓子卸問屋 posted by (C)佐々張ケン太

☆その中の様子。
吹き抜けになっている狭い中央の通路には、駄菓子入りの段ボールが所狭しと陳列されている。
しかし、ほとんどの店がシャッターが閉じられているようで、現役なのはほんの数軒みたいだ。



中央菓子卸問屋
中央菓子卸問屋 posted by (C)佐々張ケン太

☆天井が高く、屋根には木製の骨組み、上から差し込む光のおかげかじめじめした暗さがない。



中央菓子卸問屋
中央菓子卸問屋 posted by (C)佐々張ケン太

脇には小さい神社があるようだ。
参道も兼ねているのか、裏へ通り抜けできる。
「ぬけられます」の看板があればなぁ。


中央菓子卸問屋 隅田神社
中央菓子卸問屋 隅田神社 posted by (C)佐々張ケン太

この神社は「隅田神社」で、創建が元禄初年なので300年以上ここに鎮座されていることになる。
ここはかつて農村で、元禄初めごろの疫病と火事......ってこれ「四間道」の項でも触れた元禄13年の大火を指しているのではないか。
で、案内板の後半にはこう書かれている。

戦後、新道の菓子問屋街はこの辺りまで広がり、昭和四十年代まで特に賑わいました。

件の中央菓子卸市場もその頃にできたものなのだろう。


明道町菓子問屋街
明道町菓子問屋街 posted by (C)佐々張ケン太

裏手に抜けると、角に広大な空き地が広がっている。
そこに何があったかというと......


明道町
明道町 posted by (C)佐々張ケン太

☆この建物があったのだ。
ああ、やはり取り壊されてしまったんだぁ。


明道町
明道町 posted by (C)佐々張ケン太

☆在りし日の姿。
この時点ですでに終わっている状態、いつ消えても不思議ではなかったようだ。



明道町
明道町 posted by (C)佐々張ケン太

☆おそらくここらへんで働く人たちが仕事を終えて一杯ひっかける店が入っていたんだろう。
「場」という文字だけ残っていたが、「●●市場」という名前だったんだろうか。


明道町
明道町 posted by (C)佐々張ケン太

同じような看板建築が向かい合いながら建っている。
右側が中央菓子卸問屋。



中央菓子卸問屋
中央菓子卸問屋 posted by (C)佐々張ケン太

裏手はこういう感じになっている。
しかし、これいつまで持つんだろうか......



明道町
明道町 posted by (C)佐々張ケン太

その向かいの建物のほうが大きい気がする。
もしかすると同じような卸市場たんだろうか。
因みに、前回訪れた時もシャッターが閉じられていた。


明道町
明道町 posted by (C)佐々張ケン太

この「明道町」一帯は日本きっての菓子問屋街で、今でも大小の菓子問屋や菓子メーカーが集結している。
起源は様々な説があるが、江戸時代に下級武士が内職で駄菓子作りをするようになり、やがて菓子の街として発展するようになったらしい。
特に飛躍したのは関東大震災後で、被災した東京や関東の子供たちに菓子を供給したことがきっかけだという。



明道町
明道町 posted by (C)佐々張ケン太

☆こちらの菓子問屋の看板には「慰安会嫁入袋詰菓子専門店」とある。
「慰安会」はともかく、「嫁入」に菓子とは?と疑問になるだろう。



明道町
明道町 posted by (C)佐々張ケン太

☆実は名古屋(というか尾張地方)において、古くから結婚式で「菓子撒き」と呼ばれる風習がある。
結婚式当日の朝に花嫁行列に近所の人たちがお菓子を撒くというものだ。





名古屋の結婚式がド派手なので有名だが、この風習も名古屋の派手婚の一環なのだろう。
今でもこうした「菓子撒き」の風習は残っているようだ。


明道町
明道町 posted by (C)佐々張ケン太

歩いてみると、戦後の趣を残した菓子卸売店が多くみられる。
菓子だけでなく、おまけや景品で使われる玩具を扱う店も見られる。
駄菓子屋さんで買うお菓子の袋を見る機会があれば、ぜひチェックしてほしい。
製造元(販売元)の会社の住所に愛知県や名古屋の地名を多く見かけるはず。
ミレービスケットの平野製菓(千種区)、しるこサンドの松永製菓(現在は小牧市が本拠地だが、元々はこの辺りで創業した)などは有名だが、特にフーセンガムの丸川製菓(西区新道)はガチ「明道町」の会社だ。

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