大須北野新地
大須北野新地 posted by (C)佐々張ケン太

以前に中村遊廓(名楽園)について触れたことがありますが、その起源となったのが大須にあった「旭廓」でした。
大須といえば地元で"観音さま”と呼ばれている大須観音ですが、その門前町として発展したことで人が多く集まり、参拝客相手の商店や宿屋、寄席に芝居小屋などができ、「名古屋の浅草」と呼ばれるほどの一大歓楽街となります。
そんな大須に遊廓ができたのは幕末の安政年間で、当時市中にはびこっていた私娼に悩まされていたことから笹野庄兵衛という宿屋の主人が遊廓開設を願い出して認可されたのが始まりでした。
大須観音の北にある北野神社の近くにあったことから「北野新地」と呼ばれていました。
その地番が日之出町と呼ばれていたことから、「旭廓」とも呼ばれていました。


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(『遊郭をみる』より引用)

明治6年頃には貸座敷105軒に娼妓318人を数えたといいます(『遊郭をみる』より)から、相当の規模だったことがうかがえます。
で、これだけ規模が増えると手狭になるわけで、大須観音の西側、堀川に挟まれた西大須に映ることになりますが、それについては次回。
何ぶんに写真の数が多いので、今回は2つに記事を分割して取り上げたいと思います。


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注・写真ギャプションの☆印は2013年2月撮影。


大須観音
大須観音 posted by (C)佐々張ケン太

何はさておき、大須観音にお参りと勇んでみたものの、見ての通り行列ができる程の混雑ぶり。
この時点でお参りは諦めた次第w
大須観音は正式名が「北野山真福寺宝生院」、「北野山」という名前が入っているように北野天満宮の別院として元弘3(1333)年に創建。
起源が神社なのに真言宗の寺院なのは、当時は神仏習合が普通だったこともあるんだろう。
由緒ある寺院ながら、実は本堂が2度も焼け落ちている。
一度目が明治25(1892)年の大火、二度目が昭和20(1945)年の名古屋空襲で、現在の本堂は昭和45(1970)年に再建されたもので、二度目の焼失から四半世紀もかかっている。



大須仁王門通
大須仁王門通 posted by (C)佐々張ケン太

大須観音から伸びるアーケード街もご覧の通り。
「名古屋の浅草」は伊達ではないことが分かる、外国人も多いし。



たまらず、商店街にある小さい喫茶店に逃げ込む。
この喫茶店、元旦から営業していて本当に助かる。




名古屋に来たなら小倉トースト、ボリュームあってこれがまたおいしい。
店構えも昭和の落ち着いた佇まいだが、ここでは有名な店だけあって地元の参拝客絵が出入りする。



大須演芸場
大須演芸場 posted by (C)佐々張ケン太

アーケードから外れた場所にあるのが大須演芸場。
昭和40年開場と歴史は古くはないが、「名古屋の浅草」と呼ばれていただけあって古くから寄席も多かった。
いわば、その名残を受け継いでいるわけだが、実は何度も存続の危機に立たされていた。
その度に何度も復活するんだが、こうして地元民に支えられて繁盛している。



大須北野新地
大須北野新地 posted by (C)佐々張ケン太

ここまで来ると人混みもなくなり、人通りも一気に減ってゆく。
実は今回のお目当てがこの辺りなのだ。



北野新地
北野新地 posted by (C)佐々張ケン太

細い路地は新宿のゴールデン街を思い起こしそうな街並み。
もしかすると、戦後は青線だったのだろうか。


大須北野新地
大須北野新地 posted by (C)佐々張ケン太

あまつさえ、豆タイルで飾られているカフェー建築風の店構えもあるのだ。
赤か青だったと思ってしまいそうだ。



大須北野新地201302
大須北野新地201302 posted by (C)佐々張ケン太

☆そういえば今回の散策で見当たらなかったが、以前に訪れた時このカフェー建築風の店構えが向かいにあった。
あとで知ったのだが、ドアの上に「バー」の鑑札があったそうだ。



大須北野新地
大須北野新地 posted by (C)佐々張ケン太
大須北野新地
大須北野新地 posted by (C)佐々張ケン太

最近はこうした店をリノベしてカフェやら小物店が入っている。
こういう流れは決して悪くはないね。


北野新地
北野新地 posted by (C)佐々張ケン太

その向かい側にもどん突きになっている路地が見える。


大須北野新地201302
大須北野新地201302 posted by (C)佐々張ケン太

☆これも以前に訪れた時に撮ったものだが、真ん中の掲示板に「大須新地組合」という文字が見える。
「大須新地」......もしかすると「北野新地」の名残りだろうか。



北野新地
北野新地 posted by (C)佐々張ケン太

ここにもカフェー建築風の店構えが残っているのだが、実際はどうなんだろう。



大須北野神社
大須北野神社 posted by (C)佐々張ケン太

近くにある北野神社へ。
大須観音が北野天満宮の別院だったことは先に触れたが、名前からして関係性があるんだろうか。


大須北野神社
大須北野神社 posted by (C)佐々張ケン太

しかし、肝心なのは神社に残る玉垣。
「長寿楼」という名前が見えるように、「北野新地」の妓楼なのだろう。
寄進者に遊廓関係者がいたと思われる。



大須北野神社
大須北野神社 posted by (C)佐々張ケン太

分家もあるようで、こちらは「楽長寿」とある。
大須一帯は空襲で被災しており、この神社は唯一といえる戦前の名残りなのだろう。



大須 北野新地
大須 北野新地 posted by (C)佐々張ケン太

料亭だったと思しき佇まいの一軒も。
そういえば、後編でも触れるが大須にはまた「廓連」と呼ばれる花街も存在していた。


大須北野新地
大須北野新地 posted by (C)佐々張ケン太

ここまでざっくばらんに回ってきたが、実はここでまだ終わりではない。
冒頭でも書いたが、「北野新地」はキャパの関係で別の場所、西大須に新たに開発して移転しているのだ。
そこへ足を伸ばして歩き回ったのだが、それについては次回。

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