大須北野新地
大須北野新地 posted by (C)佐々張ケン太

中村遊廓の原点ともいえる大須の「北野新地」(旭廓)。
大須観音の北側、日出町で安政年間に開設も、規模が大きくなったことで手狭になり、新たな移設先を開発することになります。
それが今回歩く大須観音の西側、現在の地番でいうと大須一丁目の界隈です。



スクリーンショット (30)

上の地図でいうと、赤丸で囲った辺りが移転前の「北野新地」で、紫色で囲ったあたりが今回の移転後の「北野新地」。
西の堀川と北の若宮大通、東の伏見通りと南の大須通りに囲まれたエリアにあたります。
移転したのが明治5(1872)年、最盛期の明治41(1908)年には貸座敷173軒に娼妓1508人という大所帯となります。
この当時は顔見世だけでなく写真見世も採用されるようになり、文明開化のシンボルとなっていた写真が珍しがられたこともあって大変な人気を集めたといいます。
現在の
中村遊廓(中村区大門界隈)に移転する大正12(1923)年までの約半世紀にわたり、この地で繁盛することに。
一方、「北野新地」内にはまた花街も存在していて、その名も「廓連」と呼ばれていました。
名古屋の花街で格式が高い五連妓の一角に数えられており、昭和2年刊行の『全国花街めぐり』ではこう紹介されていました。


廓連 新地連ともいふ。今の中村遊廓が移転前の地区内にあるところから起った名で、廓芸妓の後身であるだけに、盛栄連に次いで技芸の達者な者が多い。

因みに、この廓連からさらに「睦連」が分かれ、盛栄連・浪越連・中検番と共に「五連妓」と称して格式高い花街として位置づけられました。
おもしろいのは、遊廓が中村に移った後も「廓連」がそのまま花街として残っていたこと。
門前町の繁華街の手前、さすがに芸妓までも移ってしまうわけにはいかなかったのでしょう。
さて、この大須界隈ですが、昭和20年の名古屋空襲によって多くが焼失、あの大須観音も本堂などほとんどを失います。


スクリーンショット (32)

上は昭和21年に米軍が撮影した航空写真。
名古屋市街地の大半が焼け野原になっているのが分かります。
ところが、丸で囲った箇所をよ~く見ると、黒い瓦屋根らしきものが密集しているのが見えます。
地図で確認すると、移転後の「北野新地」があった場所にあたります。



スクリーンショット (33)


その個所を拡大したのが上の写真。
周囲が焼け野原になっているのにこの箇所だけ浮いている気がしませんか?
この辺りだけ奇跡的に戦災から免れたのかもしれません。
今でも果たしてその当時の名残りがあるのか、伏見通りを西に渡って散策の開始です。

前回の散策についてはこちらを参照。

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大須 北野新地
大須 北野新地 posted by (C)佐々張ケン太

早速いい感じの家屋を発見。
料亭のような佇まいをしていますが、果たしてどうなんでしょうか。




大須 北野新地
大須 北野新地 posted by (C)佐々張ケン太

手すりも凝っていますね。
しかし、これはまだ序の口。



大須 北野新地
大須 北野新地 posted by (C)佐々張ケン太

公文の看板が掛かっているこちらの一軒もいい感じ。



大須 北野新地
大須 北野新地 posted by (C)佐々張ケン太

圧巻なのはこちら。
お寺の名前が書かれた看板がありますが、お寺には見えません......



大須 北野新地
大須 北野新地 posted by (C)佐々張ケン太

佛聲寺......何て読むんだろう?ってのはともかく、お寺に見えない罠。



大須 北野新地
大須 北野新地 posted by (C)佐々張ケン太

裏手には洋風の何かがあります。
お寺の前は何だったんだろう?



大須 北野新地
大須 北野新地 posted by (C)佐々張ケン太

この辺り、広い範囲で古い家屋が所々見かける。
もしかすると、遊廓が移った後も残った「廓連」の名残りだろうか。



大須 北野新地
大須 北野新地 posted by (C)佐々張ケン太

何となく、イメージとしては前に取り上げた八幡園に近いものがある。
あちらも元々は花街だったし。



大須 北野新地
大須 北野新地 posted by (C)佐々張ケン太

両側にいい感じの建物が向き合っている。


大須 北野新地
大須 北野新地 posted by (C)佐々張ケン太

前面タイル張りの四軒長屋は戦前のものだろう。
遊里との関係性は薄そうな感じだが。


大須北野新地
大須北野新地 posted by (C)佐々張ケン太

問題は向かいのこちら。
妓楼風とカフェー風が合わさった感じの一軒。
軽々しく断定するのは差し控えさせていただきますが、場所的に何となく匂う。



大須北野新地
大須北野新地 posted by (C)佐々張ケン太

いろいろ見るところは多いが、ここで真打登場とさせていただこう。
角地が駐車になっているが、それをL字型に囲むように建てられているアパートがある。



大須北野新地
大須北野新地 posted by (C)佐々張ケン太

一方の妻面は看板建築風になっている。
それにしても年季が入っているが、昭和20~30年代のものかしら。



大須 北野新地
大須 北野新地 posted by (C)佐々張ケン太

もう一方の妻面。
二階の窓が開いていて、住人もいるようだ。
玄関にチャリンコもあるし。


大須 北野新地
大須 北野新地 posted by (C)佐々張ケン太

その入り口の床は紅白の市松模様で彩られたタイル張り。
こういうのを見ると赤線跡のカフェーではとすぐに思ってしまいそうだが、果たして遊里との関連性はどうなんだろうか。
転業アパートと見るには無理がありそうな気もするが?



大須北野新地
大須北野新地 posted by (C)佐々張ケン太

大須を後にしようとする途中、堀川沿いに巨大なピラミッドみたいなのがあるが、よく見るとラブホ。
花街跡にはよくこの手のホテルが残っているのだが、ここもそんな感じ。
往時の遊里の息吹はこうした形で生き残っているようだ。
しかし、手前の古い家屋との落差が凄い事になっているね。

大須観音周辺の喧騒が嘘のように、ここは静寂。
戦災から免れた思しき名残りも点在し、いろいろ町並み的に見所点在だが、住宅街でもあるので、散策は風のように静かにどうぞ。



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