【愛知県】西尾

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(愛知県西尾市肴町)

三河地方の南西部に位置する愛知県西尾市
緑茶(西尾茶)の産地としても知られていますが、元々は西尾城を擁する城下町でした。
戦国時代は徳川家康の領地に含まれ、三河統一後は譜代の酒井重忠が入っていました。
豊臣秀吉の天下統一に伴い家康は江戸に移り、西尾城には秀吉配下の田中吉政が入城しますが、江戸時代になると再び徳川譜代が入り、城下町が整備されました。
「三河の小京都」と称されているそうですが、同じ「小京都」の竹原などを見たことある側からすれば、古い街並みが連続しながら密集しているわけでなく少々物足りないかも。
それでも、所々に城下町の名残をとどめているを見せているのは確かです。
因みに西尾は愛知滞在の3日目、最初の訪問先です。
ここから更に名鉄を乗り継ぎながら計4か所歩き回るというタイトなスケジュール、結構ざっくりとした散策ですが、その点はご容赦を。



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西尾城鍮石門
西尾城鍮石門 posted by (C)佐々張ケン太

名古屋から名鉄で50分で西尾に到着、駅を出て西へ歩く事15分の西尾市歴史公園へ。
ここが西尾城址にあたる。



西尾城
西尾城 posted by (C)佐々張ケン太

西尾城は本丸と二の丸、三の丸などの建物一切はもちろん、城下町全体を取り囲む総構え。
言うなれば、町全体が城だったわけだ。
オリジナルの建物は明治期にほとんど破却されており、ここに残っている鍮石門や向こうに見える本丸は復元である。



西尾城本丸
西尾城本丸 posted by (C)佐々張ケン太

本丸に三重櫓や二重櫓が2棟、二の丸にも二重櫓を構えていたという。
現在復元されているのが本丸三重櫓(丑寅櫓)。
寛永15(1638)年、太田資宗が城主となるや総構えの工事に着手、続く井伊直好の代に完成する。



カテキン堂
カテキン堂 posted by (C)佐々張ケン太

城を出て、城下町を歩くことにするが、途中に銭湯のような建物に出くわす。
後で調べたら、銭湯ではなく郵便局だったという。

明治4年竣工で、二段構えの切妻屋根を配した珍しい郵便局だった。
これに煙突をつければ完全に銭湯だ。
現在は抹茶を使ったおやきを売る店になっているが、あいにく正月のためにお休み。



肴町通り
肴町通り posted by (C)佐々張ケン太

城下町の雰囲気を残している肴町通りへ。
名前の通り、魚屋など商家が並び、城下町の消費生活を支えてきた街だ。
平入りの商家が並んでいるが、通りに対して斜めに建っている。


肴町通り
肴町通り posted by (C)佐々張ケン太

四間道で見た屋根神様が、ここでも見ることができる。

肴町通
肴町通 posted by (C)佐々張ケン太

随分と凝った欄間を見せる商家もある。



肴町
肴町 posted by (C)佐々張ケン太

西尾の城下町は他と異なり、武家地と町人地の棲み分けがされていないのが特徴だ。
武家と町人が混在する中で長い期間をかけて総構えを築いて城下町を拡大させる過程で、棲み分けがされなかったためだ。



順海町
順海町 posted by (C)佐々張ケン太

路地を進んでいくと、段違いの塀が続く通りに入る。
ここの地番は順海町、唯法寺の僧の名前から取った町名だ。
この光景は確かに「三河の小京都」と呼ぶに相応しい。



順海町
順海町 posted by (C)佐々張ケン太

この順海町に寺院が密集している感じだ。
正面が先程の塀を持つ唯法寺。



本町
本町 posted by (C)佐々張ケン太
本町
本町 posted by (C)佐々張ケン太

本町通り。
その名の通り、かつての城下町の中心街だろう。
立派な卯建を持つ商家が残っている。



本町
本町 posted by (C)佐々張ケン太

看板建築が一軒残っていた。
ファサードから見ると戦前のものだろう。



吾妻町
吾妻町 posted by (C)佐々張ケン太

本町通りからいに入っていくと立派な蔵が見える。



吾妻町
吾妻町 posted by (C)佐々張ケン太

琺瑯看板からして、どうやら味噌蔵のようだ。
この辺りは「吾妻町」とか「塩町」という地番になっている。
「塩町」という名前からすれば、塩を原料に使う味噌醤油の醸造蔵も並んでいたのかも知れない。



吾妻町
吾妻町 posted by (C)佐々張ケン太

ところが、その並びにはベンガラ色の壁をした建物がある。
もしかすると料亭か何かだろうか。
そういえば、西尾にも遊里が存在していたらしい。



会生町
会生町 posted by (C)佐々張ケン太

会生町、古いタバコ屋さんが目印だ。
遊里はこの辺りに存在していた。


会生町
会生町 posted by (C)佐々張ケン太

細い路地に伸びている飲み屋街、妓楼のようなものも見られる。



会生町
会生町 posted by (C)佐々張ケン太

遊里跡散策の先人たちによれば、かつて「鶴城荘」と呼ばれていたそう。
「鶴城」とは西尾城の別称だ。



会生町
会生町 posted by (C)佐々張ケン太

カフェー建築風の飲み屋が見られるので、この辺りでビンゴだろう。
もっとも、肝心の『全国遊郭案内』や『全国花街めぐり』、『全国女性街ガイド』などには西尾に関する記述は登場しない。
名古屋の四大赤線とは違って小規模かつ点在的に業者がいたという形だろう。

結構ざっくばらんに歩いてみたが、広いエリアに古い街並みが所々に残っていたという印象だ。
総構えということで、かつての門の跡も点在しているそうで、時間かけてじっくり歩いてみるといいだろう。

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