【名古屋市】有松
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(名古屋市緑区有松)

西尾を出て、次に立ち寄ったのが有松です。
戦国好きなら近くに桶狭間がある場所ですが、ここはかつて旧東海道沿いにあった街でした。
尤も、誤解されがちですが宿場町ではなく、鳴海宿と池鯉鮒宿の間宿でした。
元々は桶狭間村の一部だったのが、慶長13(1608)年に東海道整備に伴い茶屋集落として尾張藩によって開村、次々と村民が移住してきます。
しかし、宿場町ではなかったため、旅人相手の商売には限界がありました。
そこで登場したのが有松絞と呼ばれる絞染でした。
初期の移住者でもあった竹田庄九郎が九州豊後の絞染の技術と、出身村の農家の副業だった手織り木綿とを結びつけて考案されたのが始まり。
藩の保護もあって、江戸中期には江戸をはじめ全国に知られるようになります。
この有松絞が生産販売され、旅人の土産物となったことで有松村は大いに発展、街道沿いには絞染商が建ち並ぶようになります。
明治維新で東海道線の開通とともに一時期衰退しますが、生産加工の工夫もあって再び繁盛します。
因みに、有松は天明4(1784)年に大火に見舞われ、全村が焼失しています。

その際に防火も踏まえた復興がなされますが、現在残っている古い街並みはその時にできたものでした。
街道沿いの全800メートル程に連続した街並みは、昭和59(1984)年に名古屋市の街並み保存地区、更に平成28(2016)年には国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されます。
しかも、「染織町」というジャンルでの登録はこの有松が最初。



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有松
有松 posted by (C)佐々張ケン太

最寄り駅は名鉄本線の有松駅だが、特急はおろか急行も停車しない。
せっかく重伝建指定を受け観光客も見込まれるんだから何とかならないんだろうか、という声が聞こえそう。
その有松駅を中心に、旧東海道沿い東西800メートルに伸びている古い街並みをこれから歩く。



しかしその前に、線路を挟んで古い街並みの反対側にあるイオンに立ち寄り、軽く昼食。
お目当ては名古屋のソウルヌードル、スガキヤラーメン🍜だ
まったく観光地がいない、地元民しかいないショッピングセンターのフードコードには必ずと言っていいほどある。
先割れスプーンで食べる独特なスープで仕上げたラーメン、名古屋に来たなら話のタネに一度は食してほしい。




有松一里塚
有松一里塚 posted by (C)佐々張ケン太

燃料補給したところで一気に西の端っこの有松一里塚へ飛ぶ。
「一里塚」とは、街道整備の際に江戸の日本橋を基点に一里(約4㎞弱)ごとに築いた塚で、山盛りの土に榎の木などが植えられていて、旅人たちはその木陰で休息できたという。



有松
有松 posted by (C)佐々張ケン太

一里塚から歩いてすぐ、ここから古い街並みがある。
微妙な上り坂、道も曲がっているのが特徴だ。


有松 梅屋鶴壽歌碑
有松 梅屋鶴壽歌碑 posted by (C)佐々張ケン太

あり松の柳しぼりの見せにこそしはしと人の立ちとまりけれ


江戸後期の狂歌師だった梅屋鶴壽の歌碑だ。
後で知ったが、同じような歌碑が他に6か所あるという。
旅人として、有松の絞染に惹かれたのであろうか。


有松
有松 posted by (C)佐々張ケン太

ところで、「有松」の地名だが、松が生い茂る景観だったことに由来しているという説が有力だ。
或いは、桶狭間村から独立し新たにできた町、つまり新町(あらまち)だったということから転じて付いたという説もある。



有松
有松 posted by (C)佐々張ケン太

アップダウンに加えて緩やかに曲がっている旧街道の両側に連続する平入の商家と土蔵の数々。
このシークエンスが有松の街並み、最大の特徴といえる
名古屋の中心から電車で20分ほどという場所に、時代劇のセットのような街が眼前に広がる。
まあ、名古屋の場合は四間道のように新幹線が止まる大ターミナルの至近でさえこうした街並みが見られるのだから。
しかし、規模では断然こっちだろう。



有松 小塚家住宅
有松 小塚家住宅 posted by (C)佐々張ケン太

文久2(1862)年頃築といわれる小塚家住宅。
寛文年間に有松に移住、「山形屋」という屋号で明治期まで絞り問屋を営んでいた。
切妻平入2階建ての主屋に表蔵が並び、主屋には海鼠壁、2階に長方形型の虫籠窓が見られる。


有松 岡家住宅
有松 岡家住宅 posted by (C)佐々張ケン太

こちらも幕末に建った岡家住宅。
主屋の間口が広く、2階に優雅な塗籠漆喰塗の縦格子窓が広がる。



有松
有松 posted by (C)佐々張ケン太
有松
有松 posted by (C)佐々張ケン太

商家の間に細い路地が見える。
間口が広いだけでなく、奥行きもある。
敷地が広大で、如何に有松絞で得た富が大きかったかを物語る。



有松
有松 posted by (C)佐々張ケン太

有松が名古屋市の街並み保存地区に指定されたのは他よりも早く、景観を保つよう様々な努力がされた。
そういえば、街道沿いには電柱や電線が見かけなかったが、平成25(2013)年に電線を地下化させたのだ。
同時に、車両は西向き一方通行とされ、歩きやすい通りになっている。
有松の名の由来とされる見越しの松も、こうして存在感出している。
そんな積み重ねが後の重伝建指定につながったのだろう。





有松 竹田家住宅
有松 竹田家住宅 posted by (C)佐々張ケン太

黒漆喰の土蔵に見越しの松という存在感がたっぷりな竹田家住宅。
前置きでも書いた有松絞の開祖・竹田庄九郎の流れをくむ絞染商だ。


有松 竹田家住宅
有松 竹田家住宅 posted by (C)佐々張ケン太

反対側から。
絞染商だった商家には、必ずと言っていいほど屋根の上に軒行灯が掲げられている。


有松 竹田家住宅
有松 竹田家住宅 posted by (C)佐々張ケン太

ここまでが竹田家の敷地で、やはり有松絞の元祖だけあって敷地がデカい。
実は現役の有松絞商(竹田嘉兵衛商店)であり、ホームページもある。



有松
有松 posted by (C)佐々張ケン太

有松にはこうした細長い蔵も見かける。
これは氏神である有松天満宮の大祭で繰り出される山車の庫である。
因みに、山車は3つあり、倉も3か所ある。



有松 中濱家住宅
有松 中濱家住宅 posted by (C)佐々張ケン太

こちらの中濱家住宅は明治初期築。



有松 中濱家住宅
有松 中濱家住宅 posted by (C)佐々張ケン太

ここは国登録の有形文化財に指定されている。



有松 服部家住宅
有松 服部家住宅 posted by (C)佐々張ケン太
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IMG_1613 posted by (C)佐々張ケン太

文久元(1861)年築の服部豊家住宅。
寛政2(1790)年に向かいの大井桁屋(棚橋家住宅)から分家した「井桁屋」を創業。
立派な卯建は、大火の教訓で防災のためにある。



有松 服部家住宅
有松 服部家住宅 posted by (C)佐々張ケン太

主屋と並んで土蔵も持っているが、写真右の土蔵はその分家・服部良也家のもの。
2つの土蔵が調和して並んでいる。



有松
有松 posted by (C)佐々張ケン太
有松
有松 posted by (C)佐々張ケン太

現在も有松絞を土産物として商う店があるわけだが、正月だったせいかどこも開いていなかった。
いや、正月というのに観光客の姿がほとんど見られなかったのは意外だった。
そのせいか、散策もスムーズにはかどった。



有松
有松 posted by (C)佐々張ケン太
有松
有松 posted by (C)佐々張ケン太

有松の古い街並みはここで終わる。
800メートル程なので、歩くだけなら30分も掛からないのではないか。



有松
有松 posted by (C)佐々張ケン太

帰りは裏通りから。
柳の木の向こうに見える町並みもまたいい。



有松
有松 posted by (C)佐々張ケン太

甍の波が雲の波~♪
そんな歌が聞こえそうな瓦屋根が重なり合う風景が見える駅からの眺め。
駅に近いのに江戸時代からの街並みが残るのは全国見渡しても稀有だろう。

さて、今回は東海道の間宿「有松」を歩いたが、次回は古い街並みが残る宿場町「鳴海」へ向かいます。