【愛知県】明治村
明治村(聖ヨハネ教会堂)
(愛知県犬山市「明治村」 聖ヨハネ教会堂)

時系列が前後しますが、正月二日目に足を運んだのが犬山市郊外に広がるテーマパーク「明治村」。
現存12天守の一つ「犬山城」を中心にした城下町を始め、リトルワールドにモンキーパーク、少しマニアックなものとしてはお菓子の城に桃太郎公園などを抱え、愛知きっての観光都市である犬山ですが、すべてを回るとなるとまず1日では無理。
今回の「明治村」にしても、すべてをくまなく回るだけでも最低半日は要するでしょう。
何しろ、入鹿池に面した丘陵地約100万平方メートルという敷地内に、67件もの歴史的建造物が集まっているのですから。
その建築物のうち11軒が国の重要文化財、残りのほとんども国登録有形文化財に指定という、スケールだけでなく質も濃いテーマパークと言えるでしょう。
開村は昭和40(1965)年、当時は高度成長期で、貴重な歴史的建築物が「開発優先」の犠牲のもと次々と取り壊され消えてしまいます。
そんな現状を憂慮したのが谷口吉郎(建築家)と土川元夫(名鉄社長)の二人。
解体されようとする建築物から歴史的価値の高いのを厳選し、一か所に移築保存しようという構想を打ち立てます。
とりわけ集められたのが、名前にあるように明治時代の建築物でした。
開国を機に欧米の文明と制度が導入され、近代日本の基礎を築いた時代、それが「明治」という時代でした。
開村当時は札幌電話交換局や京都聖ヨハネ教会堂など15件でしたが、多岐なジャンルにわたり日本各地はもとより海外からも貴重な建築物が移築され、現在は67件(尤も、すべてが明治時代のものというわけでなく、代表的建築の一つである帝国ホテル中央玄関などは大正時代で、昭和初期のものも含まれている)
ネズミーランドとかUSJなどといったただ楽しむテーマパークではなく、歴史や建築を学ぶ野外博物館の走りという点では、街歩きフリークなら必ず一度は足を運びたい。
かくいう私、4年前に一度訪れていて今回2回目なんですけどね(笑)
ただ単に建物があるのでなく、疑似集落のような形でうまく配列している展示の仕方は、まさに一つの「村」。
かなりのボリュームなので、ブログでは多少端折る形になりますが、数回に分けて取り上げたいと思います。
なお、建築物一つ一つについてはTunblr「タテモノめぐり。」というブログにて紹介しています。
1月23日現在まだ完結していませんが、順次取り上げていく予定です。

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明治村正門
明治村正門 posted by (C)佐々張ケン太

犬山は名古屋から名鉄特急で30分弱、駅を出てさらにバスで20分で到着。
赤煉瓦の門をくぐって入村ということになる。
因みに、この門は名古屋にあった「第八高等学校正門」(明治42年築)だったもの。
所謂旧制高等学校で、戦後は新制名古屋大学となる。


スクリーンショット (23)
敷地面積100万平方メートルに60件超もの歴史的建造物が入り、しかもエリアを「一丁目」から「五丁目」に分けてあたかも一つの町村のように造りあげている。
かなり広いので、園内で動いている乗り物を上手く使うといいだろう。



大井牛肉店
大井牛肉店 posted by (C)佐々張ケン太

まずは「一丁目」から、最初に登場するのが神戸にあった「大井牛肉店」。
江戸時代まで獣肉を食らうのは忌み嫌われてきたが、開国と共に牛肉食の習慣が伝えられ、日本各地に広まる。
神戸にあるわけだから、扱う肉は神戸牛だったろうか。



大井牛肉店
大井牛肉店 posted by (C)佐々張ケン太
大井牛肉店
大井牛肉店 posted by (C)佐々張ケン太

日本人がすき焼き(当時は「牛鍋」と呼ばれていた)を食するようになったのも明治に入ってから。
日本人の食事が洋食化するのもこの牛鍋がきっかけになった。
余談ながら、この「大井牛肉店」では実際に牛鍋が頂けるらしい。



三重県尋常師範学校・蔵持小学校
三重県尋常師範学校・蔵持小学校 posted by (C)佐々張ケン太

並びに建つのが「三重県尋常師範学校」、明治21年に建てられた。
4本の円柱で三連アーチを支える、特徴のある車寄せをもつ。



三重県尋常師範学校・蔵持小学校
三重県尋常師範学校・蔵持小学校 posted by (C)佐々張ケン太

尋常師範学校とは小学校教師の養成が目的の学校だ。
昭和3年に名張市蔵持に建物が移築され、「蔵持小学校」となる。
それにしても、教室の机と椅子を見ると当時の小学生が如何に小さかったかが伺える。



近衛局本部付属舎と赤坂離宮正門哨舎
近衛局本部付属舎と赤坂離宮正門哨舎 posted by (C)佐々張ケン太

手前から「赤坂離宮正門哨舎」(明治41年築)、「近衛局本部付属舎」(同21年築)、「三重県尋常師範学校・蔵持小学校」(既出)という並び。
大建築を正面に小規模な建築が脇に並ぶ配列だ。



学習院長官舎
学習院長官舎 posted by (C)佐々張ケン太
学習院長官舎
学習院長官舎 posted by (C)佐々張ケン太
明治42年築の「学習院長官舎」。
正面から見るとアーチ形の屋根を持つ玄関に下見板張りの洋風建築だが、その裏には和館とつなぎあっている。
洋館は学習院長としての実務や接客など公的な場として使われる一方、プライベートな生活の場として和館で過ごした。



学習院長官舎
学習院長官舎 posted by (C)佐々張ケン太

竣工当時の学習院長は乃木希典で、皇太孫(のちの昭和天皇)の教育も担当した。
竣工から3年後に、乃木は明治天皇に殉じている。


聖ヨハネ教会堂
聖ヨハネ教会堂 posted by (C)佐々張ケン太

ここで最初の国重要文化財が登場。
明治40年に京都の河原町通りに建てられた「聖ヨハネ教会堂」、プロテスタントの一派「日本聖公会京都五条教会」である。
設計はアメリカ人宣教師で建築家でもあったJ.M.ガーディナー。



聖ヨハネ教会堂
聖ヨハネ教会堂 posted by (C)佐々張ケン太

正面左右に高い尖塔、奥に十字型大屋根が架かる会堂という教会で、日本に多い地震への配慮で屋根は軽い金属板で葺いている。
中世西洋のロマネスク様式を基調に、細部にゴシックのデザインを交えた外観だ。



聖ヨハネ教会堂
聖ヨハネ教会堂 posted by (C)佐々張ケン太

尖塔の内部は吹き抜けで、階段室になっている。
その階段を上った2階に会堂がある。


聖ヨハネ教会堂
聖ヨハネ教会堂 posted by (C)佐々張ケン太
聖ヨハネ教会堂
聖ヨハネ教会堂 posted by (C)佐々張ケン太

中に入るだけで厳かな気分になる会堂。
天井や柱などの骨組みを細く見せることで、内部を広く見せる。



聖ヨハネ教会堂
聖ヨハネ教会堂 posted by (C)佐々張ケン太

大きな尖塔アーチが2つも開けられ、光を多く取り込むせいか、中は明るい。
ステンドグラスも美しい。

まだ入ったばかりだが、見所のあるレトロ建築がこれから続々登場する。
次回は西郷どんの弟の邸宅へ。


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