【愛知県】犬山市「明治村」
明治村
(愛知県犬山市「明治村」西郷従道邸)

開発優先の高度成長期、解体の危機に晒された歴史的建築物が集結した「明治村」。
前回に続き、今回はいまだ人気高い"維新の英傑"......の弟の邸宅から。

※(その1)はこちら



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西郷従道邸
西郷従道邸 posted by (C)佐々張ケン太

明治10年代に東京上目黒に建てられた「西郷従道邸」。
こちらも前回の聖ヨハネ教会堂と同様に国重文指定を受けている。



西郷従道邸
西郷従道邸 posted by (C)佐々張ケン太

現在も邸宅があった場所は「西郷山公園」としてその名にとどめているが、元々は野に下った兄の西郷隆盛の再起を願って、弟の従道が兄のためにその土地を購入したことから始まる。
しかし西南戦争で隆盛が戦死してこの地に入ること叶わず、やむなく弟である自身の邸宅として入ることになる。
フランス人のJ.レスカスが設計したこの洋館と、現存していない和館で成り立っていたという。



西郷従道邸
西郷従道邸 posted by (C)佐々張ケン太

維新後は洋行も多く、大臣を歴任して維新政府の中枢にいて、在日外国人外交官との接触も多かった。
そのため、接客のための洋館が建てられ、中も洋風にしつらえる。
流れるような曲線の流れ階段は、それまでの日本建築にはなかったものだろう。
見た目だけでなく、昇降が楽なように工夫されている。



西郷従道邸
西郷従道邸 posted by (C)佐々張ケン太

接客の場に相応しく調度品も豪華に。
内部を飾る部品もほとんどが舶来品だという。



西郷従道邸
西郷従道邸 posted by (C)佐々張ケン太

もっとも、すべてが外国まみれというわけではなかった。
こちらの暖炉飾は瀬戸焼で、周囲には「日本三景」が描かれている。
実をいうと、天板にも三保松原と富士山が描かれている。



西郷従道邸
西郷従道邸 posted by (C)佐々張ケン太

外からも美しい形だった半円形に張り出されたベランダ、中から見ても美しい。
ベランダから見えるのは広大な入鹿池だが、実際に上目黒にあった当時も池が見えたという。



森鴎外・夏目漱石住宅
森鴎外・夏目漱石住宅 posted by (C)佐々張ケン太

政治家の邸宅の次は文豪の住宅。
何とこれ、森鴎外と夏目漱石がそれぞれ違う時期に住んでいたという住居だという。
明治20年頃の建築で、元々は医学士・中島襄吉の住居だった。



森鴎外・夏目漱石住宅
森鴎外・夏目漱石住宅 posted by (C)佐々張ケン太

森鴎外が住んだのは明治23年から1年間、その後に夏目漱石が同36年から39年まで入っている。
鴎外はここに入る年の1月に『舞姫』を発表、ここでは『文づかひ』などの作品を執筆している。
尤も、本業は陸軍軍医で、ヨーロッパ留学時に『日本家屋論』を発表している。
西洋人から見た日本家屋の「不衛生」という評価に対する反駁だが、こうも書いている。

家が低く、立ち机には向かない。畳は不衛生な材料である。家の構造そのものが暖房に向いていない。

当の日本家屋に対する鴎外の見方だが、外国人のこうした指摘にも認めざるを得ないところがあったということだろうか。



森鴎外・夏目漱石住宅
森鴎外・夏目漱石住宅 posted by (C)佐々張ケン太
森鴎外・夏目漱石住宅
森鴎外・夏目漱石住宅 posted by (C)佐々張ケン太

一方の漱石は10年遅れて入居するのだが、ここで執筆したヒット作が『吾輩は猫である』だ。
文中に描かれていた家の様子は、猫が出入りした掃き出し窓(写真下)など所々に再現されている。



三重県庁舎
三重県庁舎 posted by (C)佐々張ケン太

明治21年に架けられた二重橋の飾電灯、よく「二重橋」と誤解される皇居前広場から見える石造りの眼鏡橋は「正門石橋」であって、正確には奥にある「正門鉄橋」を指す(2つの橋を総称して「二重橋」ということもあるが)。
その奥に見えるタテモノも国重要文化財、明治12年築の「三重県庁舎」だ。



三重県庁舎
三重県庁舎 posted by (C)佐々張ケン太

間口54メートルに及ぶ大きな建物で、観を軸に左右対称になっている。
設計は清水義八、地元三重県の大工で、県庁の吏員として県内の建物を多く手掛けているが、前回触れた三重尋常師範学校・蔵持小学校もその一つだった。



三重県庁舎
三重県庁舎 posted by (C)佐々張ケン太

基壇・礎石・円柱など構成は、古代ギリシャ・ローマの神殿に由来し、出入口や窓も洋風が取り入れられ、半円あるいは円弧のアーチの形で納められている。
明治に入り、署は既存の建物を借りる形だったのが、先を争うように西欧風の新庁舎を造るようになった。
三重といえば神都・伊勢を擁するが、そんな古風なイメージと対照的に実は早くから開明的な県だったようだ。


鉄道局新橋工場
鉄道局新橋工場 posted by (C)佐々張ケン太

一丁目のトリを飾るのが「鉄道局新橋工場」(明治27年築)、日本最初の国産による鉄道建築物である。
新橋といえば、横浜まで日本で最初に開通した鉄道ゆかりの地だ。



鉄道局新橋工場
鉄道局新橋工場 posted by (C)佐々張ケン太

建物の鋳鉄柱には「明治貳十二年 東京鉄道局鋳造」とある。
柱はもちろん、小屋組鉄トラス、鉄製下見板、サッシなどすべて国産である。
それまでは外国から資材を輸入したものを使用していた。



鉄道局新橋工場
鉄道局新橋工場 posted by (C)佐々張ケン太

ここは建物以上に、内部に展示されている2つの車両が見どころである。
「明治天皇御料車」、「昭憲皇太后御料車」だ。



鉄道局新橋工場
鉄道局新橋工場 posted by (C)佐々張ケン太

残念ながら車両の中に入ることはできないが、窓から覗くことはできる。
流石に天皇ご夫妻の専用車両というだけあってエレガントな装いだ。



明治村 庭園
明治村 庭園 posted by (C)佐々張ケン太

建物の前には日本庭園が広がる。
広大な位置を歩き回るのはさすがに疲れるので、いい保養になる。
あずま屋に使われているのは、東京盲学校の車寄せとして使われたもの(明治43年築)。
明治の洋風な遺構もうまい具合に活用されている。


明治村 入鹿池
明治村 入鹿池 posted by (C)佐々張ケン太

庭園を出ると、広大な入鹿池が眼前に広がる。
周囲が緑に囲まれ、自然豊かな場所にいることを再認識させられる。
てか、それまで建物を見て回っていたのを忘れそうになる。

ここで「一丁目」エリアは終了、明治村がどれだけ広いかを実感させられる。
次回から「二丁目」エリアに突入。

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