【愛知県】犬山市「明治村」
明治村
(愛知県犬山市明治村「菅島燈台附属官舎」と「品川燈台」)


明治村「一丁目」エリアはその1その2

明治村「二丁目」エリアはその3

※ギャプション★印は201604訪問時

「二丁目」までざっくりと取り上げてきたが、今回は最初に乗り物から。
静態展示だけでなく、動態展示の形で実際に村内で運行しているものもある。



名電1号型
名電1号型 posted by (C)佐々張ケン太 ★

明治村50周年記念として期間限定で特別展示されている「名電1号型」。
明治34年に製造され、同40年まで名鉄の前身「名古屋電気鉄道」が市内電車として実際に使用された車両だ。
後に札幌市電として昭和2年から11年まで運行された。



名電1号型
名電1号型 posted by (C)佐々張ケン太 ★

外観だけでなく、内部も公開されている。
運転席もこうして見ることができる。


名電1号型
名電1号型 posted by (C)佐々張ケン太 ★

客車部分、内部がほとんど木製だ。


名電1号型
名電1号型 posted by (C)佐々張ケン太

つり革もいまとは違う。



京都市電
京都市電 posted by (C)佐々張ケン太

一方、実際に乗車して村内を移動できる乗り物もある。
その1つが「京都市電」だ。


京都市電
京都市電 posted by (C)佐々張ケン太

実際に使われているのは明治43(1910)年から44(1911)年にかけて製造された大型の車両。
京都に初めて市電が開通されたのが明治28(1895)年で、実はこれが日本で初めて電車の営業開始でもある。
因みに、世界で最初に電車が走るようになったのが同14(1881)年、ドイツにおいてである。



京都市電
京都市電 posted by (C)佐々張ケン太 ★

「三丁目」と「四丁目」エリアをおよそ30分間隔で運行している。
決してスピーディではなく、とことこと心地よい響きでゆっくり走るのがいい。
乗り物1日券を購入すれば、村内の乗り物を何回でも乗り倒しできる。


京都市電
京都市電 posted by (C)佐々張ケン太 ★

京都市電は以前に一度訪れた際に一度乗車したことがある。
車掌さんが明治のレトロな衣装を着て雄姿を見せながら動かしている、その後姿が格好いい。



品川燈台
品川燈台 posted by (C)佐々張ケン太

さて、「三丁目」も建物の展示が多いが、中でもこの2つは外せない。
「品川燈台」と「管島燈台附属官舎」、いずれも国重要文化財である。
まずは「品川燈台」、明治3年に品川第二台場に設置された。



霧砲
霧砲 posted by (C)佐々張ケン太

品川台場は江戸防衛のために急造された人工島で、大砲を備えていた。
当時は幕末、外国船がひっきりなしに押し寄せていたため、いざというために第六台場まで完成させていた。
現在リア充が集まる所謂「お台場」はこれが由来、公園となっている第三台場と無人島となっている第六台場が現存している。



品川燈台
品川燈台 posted by (C)佐々張ケン太

開国後の慶応2年に「改税約書」と呼ばれる外国との交易の取り決めが結ばされるが、その中で入国する外国船のために燈台や航路標識を設けなさい、というのが含まれている。
そのため、フランスやイギリスの技術援助を受けて東京湾岸の4か所(観音崎、野島崎、城が島、品川)に洋式燈台が建設された。
他3か所が建て替えられたのに対し、こちらは当初から現存する唯一の燈台の遺構だ。



管島燈台附属官舎
管島燈台附属官舎 posted by (C)佐々張ケン太

品川燈台の傍らにある「管島燈台附属官舎」も国重文、明治6(1873)年に三重県鳥羽の管島に設置された。
当所の洋式燈台は燈火の管理も外国人の手で行われていたので、その官舎も煉瓦造りで造られた。



芝川又右衛門邸
芝川又右衛門邸 posted by (C)佐々張ケン太

「三丁目」エリアから「四丁目」エリアにかけては主に住居が多く展示されている。
「三丁目」からはまず芝川又右衛門邸、モダンな外観だが実は明治44(1911)年築。
設計は関西中心に活躍した建築家、武田五一。



芝川又右衛門邸
芝川又右衛門邸 posted by (C)佐々張ケン太

大阪の商人・芝川又右衛門が西宮の甲東園の近くに構えた別荘で、関東大震災後に現在のスパニッシュ風の外観に変えた。
元々木造だったため、防火に配慮したものだった。
もっともこの住居、あの阪神淡路大震災で被害を受けてしまうのだが。
現在展示されている建物でいちばん最近に移築されたものである(平成19年移築)






幸田露伴住宅「蝸牛庵」
幸田露伴住宅「蝸牛庵」 posted by (C)佐々張ケン太

一方、こちらは幸田露伴住宅「蝸牛庵」で、明治初年代に東京都東向島に建てられた。
現在も鳩の街の近くに旧居跡を示す案内板がある。



幸田露伴住宅「蝸牛庵」
幸田露伴住宅「蝸牛庵」 posted by (C)佐々張ケン太

坪内逍遥『小説神髄』の発表後に尾崎紅葉や二葉亭四迷らとともに登場し、『五重塔』などを発表した。
自分の家を「蝸牛のような家」という意味で「蝸牛庵」と名付け、ヤドカリのように住まいを変えているが、東向島の住居には明治30年から約10年間住んでいる(因みに当時は鳩の街の色街は存在していなかった)



幸田露伴住宅「蝸牛庵」
幸田露伴住宅「蝸牛庵」 posted by (C)佐々張ケン太

個人的に見所なのはこちらの便所(食事中の方、失礼しますね)



幸田露伴住宅「蝸牛庵
幸田露伴住宅「蝸牛庵 posted by (C)佐々張ケン太

陶器に描かれた青い絵柄が何とも言えない美しさ。
実用にはもったいない芸術品ですね。
戦前の便器はこんな感じだったんだろう。


一応「三丁目」エリアはここまで。
他にも展示建築が多いが、こちらを参照していただけたらと思います。