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(東京都港区元麻布)


世間では広く「高級住宅街」でシャレオツなイメージが強い「麻布」。
しかし、実際に歩いてみるとそんなステレオタイプなイメージとは違う顔を垣間見る。



麻布地形

「麻布」は典型的な山の手で、上の地図を見てもわかるように、起伏に富んでいる地形になっている。
そこを流れる古川は渋谷川が名を変えたもので、渋谷方面から広尾を経て麻布十番へ北流し、そこで折れ曲がって東流して東京湾に注がれてゆく。
その古川の流れによって台地と谷地が出来上がり、更に支流が台地を削って襞(ひだ)のように入り組んだ地形を作り出していった。
当然ながら坂道も多く高低差をまざまざと感じさせるし、一口で「麻布」といっても台地と谷地では見る風景が対照的になる。

ところで「麻布」は一口といってもエリアが広く、戦前の東京市だった時代は「麻布区」という一つの区になっていた。
昭和22年に「芝区」「赤坂区」と合せて港区になると、旧「麻布区」の地番は「麻布〇〇町」という形で「麻布」を冠した町名になった。
同46年の住居表示に伴い現在の地番になったが、「麻布永坂町」「麻布狸穴町」のように戦前からそのまま引き継いでいる町もある。
今回歩いたのは、その中でも麻布十番から元麻布のエリアである。



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麻布十番商店街 麻布十番駅を出て目の前、へんてこなオブジェに出迎えられる

麻布十番駅は平成12年に都営地下鉄大江戸線と東京メトロ南北線、2つの地下鉄が乗り入れられている形で開業している。
かつて営団地下鉄日比谷線が麻布十番に乗り入れられる計画があったのだが、「銀座に買い物客が取られる」と住民の反対が根強く、結局麻布十番を通らず六本木に駅ができたという経緯がある。
昭和40年代まで都電が通っていたが、廃止後は交通の便がバスに限定される。
日比谷線六本木駅から1㎞程離れているうえに高低差が激しいため、行き来するにはバスに頼らずを得ず、都心ながら「陸の孤島」と呼ばれていたという。



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麻布十番商店街

「麻布十番」という地名の由来は諸説あるが、江戸時代に古川改修工事が行われた際、工区ごとに番号が振り分けられ、この辺りが「十番」と呼ばれていたからという説が知られている。
谷地ゆえに湿地帯だった辺りは、近代に入り開発が進み、大正時代に三業地ができるなど繁華街に発展する。
松川二郎は『全国花街めぐり』の中で麻布十番をこう表現している。

麻布の夜の賑ひは「麻布の銀座」と云はれる十番、夜な夜な露店が出て人波のごった返す態は道玄坂下や新宿通りに彷彿として居る。その盛り場を外れて二の橋から仙台坂に向っての横町を一歩踏み込むと所謂江一格子の二間間口に擦ガラスの丸ボヤの御神燈がズラリと並んで、問はずとも狭斜の巷であることを象徴してゐる。



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麻布十番商店街 明治42年創業の「浪花家総本家」

その流れで出来上がっている麻布十番商店街には休日に行列ができる鯛焼き屋さんをはじめ、古くからの店も多い。
とはいえ、麻布十番は昭和20年に空襲に遭っており、現在の古い街並みは戦後復興の際にできたものである。



麻布三業地

三業地が置かれたのは網代公園の南側で、上の地図でいうと色がついた範囲になる。
この辺りの街割が整然と区画されているので、間違いないだろう。



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麻布三業地跡 見番はこの辺りにあった

『全国花街めぐり』によれば、芸妓屋52軒、芸妓136名、料理屋14軒、待合48軒とある。
戦災を経て戦後も続いていたが、昭和50年代には紅燈街の歴史を終えているようだ。
現在の三業地跡だが、まったくと言っていいほど名残りは見られない。



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麻布山善福寺 背後に元麻布ヒルズタワーレジデンス

「麻布」の地名は、この麻布山善福寺から採ったものとされる。
「麻布山」とあるように山門が高い場所にあるが、その背後には開発の高層マンションが聳え立ち、一層と高低差を際立たせている。



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麻布山善福寺 山門前からの眺望

山門側から見ると、高低差がはっきりと見て取れる。
周辺にも寺院が見えるように、麻布は古くから寺町の側面も持っている。



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麻布山善福寺 本堂

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麻布山善福寺 逆さ銀杏(天然記念物)

善福寺は弘法大師の開山で元々は真言宗だったが、親鸞聖人が立ち寄ったことで浄土真宗に改宗している。
この古拙も戦災に遭っており、本堂は焼失後に京都の東本願寺八尾別院から移築してきたもので(慶長12年築)、墓地に立っている樹齢750余年の大銀杏も空襲により上部が焼かれている。
それでもなお秋には黄金色の葉でいっぱいなのだから、生命力の凄さに驚く。


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麻布山善福寺 アメリカ公使館跡 ハリス顕彰碑

しかし、歴史的に重要なのが、この善福寺が初代アメリカ公使館として使われていた事だろう。
日米修好通商条約を機に公使ハリスが宿所として移り、公使館も兼ねていたという。
麻布には各国大使館が多く集まるが、そのはしりといっていいだろう。



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仙台坂 仙台藩下屋敷があったことが由来

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薬園坂 江戸幕府の薬園があったことが由来

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元麻布 高台の高級住宅街 坂上から谷地が望める

麻布十番から仙台坂を上って、高台の高級住宅街に向かう。
仙台坂には警官が等間隔に立っているが、坂の中腹に韓国大使館があるからだ。
江戸時代、仙台藩をはじめとする大名下屋敷が高台に建ち、近代に入るとその地割りに高級住宅や大使館、学校、教会などが入る。


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元麻布 高級住宅街に残る店蔵と木造家屋

戦前からと思われる白壁の土蔵、その奥には木造家屋がつながっている。
敷地の奥行きがあるのか、繁盛した商家だったのだろう。


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元麻布 安藤記念教会(大正6年築)

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元麻布 氷川神社 麻布総鎮守

同じ通りに教会と神社がはす向かいに建っている。
大谷石造りの安藤記念教会と麻布総鎮守の氷川神社、キリスト教と神道の違いながら神を祀る点では一緒だ。
前述の善福寺もそうだが、寺院や神社、教会といった聖なるものが天界に近い高台にある。


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元麻布 氷川神社 境内からの眺望

神社が高台の縁、しかも岬に立っているのは面白い。
そして、眼下の谷地に広がっているのは墓地、生と死、聖と俗の境界がはっきりとわかる。



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元麻布 稱念寺 門から下るとお堂、さらにその下に墓地

天と地、聖と死、その落差がはっきりと感じさせられる稱念寺の境内。
門から下り坂が続いて、その途中にお堂が見える。
さらにその下には墓地が広がっている。


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元麻布 稱念寺 境内 井戸、六地蔵、そして墓地へと続く

世俗との壁を表すように境内は擁壁で囲まれていて、墓地の入口に井戸、更には六地蔵が祀られている。
つまりはあの世への入口というわけで、六道輪廻(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道)の思想が現れている。
そして、坂を下ると墓地、つまり死の世界が広がっているわけだ。
墓地から高級住宅街を見上げると構図は、つまり明と暗を隔てている構図ともいえる。


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元麻布 稱念寺 窪地に広がる元釣り堀の池

墓地の斜面を下った低地には池が広がっている。
最近まで釣り堀として使われていたようだ。
残念ながらすでに営業をやめていて、中に入ることができなくなっている。
墓地を眺めながら釣竿を垂らす気分ってどんなのだろう❓


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元麻布 松方ハウス(大正10年)ヴォーリズの設計
松方正義の子息の邸宅 現在は西町インターナショナルスクール


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元麻布 宮村児童遊園 崖下に低層住宅の屋根が広がる

ヴォーリズ建築の松方ハウスを抜け、高台から降りて麻布十番に戻る途中の児童公園。
その向こう、一段と低い場所に低階層住宅の屋根が密集しているのが分かる。



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元麻布 宮元児童公園下の低層住宅群

降りてみると、車が通れないぐらいに細い路地に板張りの壁、木製の窓に突き出たバルコニー、軒下に並ぶ植木......
下町でよく見かける、昔ながらの長屋が続いている。
三方に崖に覆われ、窪地となっているためか、人通りもほとんどない。
それでも生活の息吹が感じられる。
向こうには元麻布ヒルズのタワマン、高低差が残酷なほどに感じさせられる風景だ。


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元麻布 宮元児童公園下の木造家屋群

下見板張りの木造家屋は恐らく戦前からあったのだろうか。
崖が障壁になったせいか、空襲の被害から辛うじて免れたのだろう。
意外なほどに日当たりが悪くないのは、斜面にビルが建たなかったせいかもしれない。
路地の突き当りは行き止まりで、部外者の出入りが遮られているので、閑静な佇まいを保てるのだろう。



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元麻布 窪地を抜ける通りには石垣 崖上には本光寺が建つ

窪地から抜け出す途中には石垣が続いていて、その崖上には本光寺が建っている。
先程の長屋住宅群がある窪地は、その本光寺の貸地だという。


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元麻布 五差路

その先にの交差点は五差路になっている。
警官が見えるのは近くに中国大使館があるため、
韓国に中国、外部から何か押し寄せないようになのか神経をとがらせている風だ。


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元麻布 五差路近くに欄干のようなのが点在

通りに橋の欄干のような石柱が点在している。
近くに水路があるのだろうか......


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元麻布 下に水路が見える

ビンゴ、暗渠から水路が顔を出して流れているのが確認できる。



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元麻布 元麻布テラス脇の小道

五差路から元麻布テラスの脇に続く小道を発見。
五差路ではなく六差路だったのか。
そして、その小道は湾曲し、コンクリの蓋がされていることから、水路が下に流れているがわかる。
恐らくは古川に流れてゆく支流だったのだろう、それらによって高台を削って襞がある地形を作り出しているのかもしれない。



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元麻布 狸坂

五差路から続く上り坂は「狸坂」という名がついている。
古くは狸が出没するほどの寒村だったのあろう。


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元麻布 阿部美樹志邸(大正13年)

狸坂を上った先にモダンな邸宅が残っている。
建築家の阿部美樹志の邸宅だという。
もちろん、設計も自分で手掛けたのだろう、玄関回りのタイル装飾にステンドグラスの窓など、洒落ている。


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元麻布 一本松坂 脇に一本松

狸坂を上った先に一本松が立っているのが見える。
御神木なのか、周りを石柱で囲まれていて、幹が天に向かって伸びている感じだ。


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元麻布 坂が一手に交わる場所 

この一本松がある場所は、坂道が一手に交わる場所でもある。
上の写真でいうと、左手が一本松坂、手前が大黒坂、奥に狸坂、そして右手が暗闇坂だ。


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元麻布 暗闇坂 左にオーストリア大使館

帰りは暗闇坂を下る。
嘗ては名前の通りに辺りが木々に覆われて昼間でも暗かったからだそうだが、今はそうでもない。
振り返ると、急坂がカーブして上っていく感じだ。

高級住宅街が広がる台地に対して庶民的な長屋が集まる谷地、そして聖と俗、生と死の世界を地形によって作り出している、それが麻布なのだと思う。

(訪問202003)