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(東京都台東区千束四丁目「吉原」)

緊急事態宣言が出る前の浅草からてくてく歩いて、ついに「吉原」へ。
現在の地番に「吉原」の名前はなく、「浅草新吉原」と冠した町が住居表示改正で「台東区千束四丁目」とひとまとめになっている。


スクリーンショット (79)

上の地図で、千束(四)にあたる箇所が長方形の微高地になっているのが分かる。
これは、元々湿地帯だった場所を人工的に土盛りにしているからだ。
もともと吉原遊廓は元和4年に葦しか生えていなかった湿地帯に置かれたので「葦原」と呼ばれていた。
しかし、「葦」が「悪し」に連想するから縁起が悪いということで「良し」と縁起良くするために転じて「吉原」となった。
その吉原遊廓は現在の人形町二丁目、甘酒横丁がある一角にあったのだが、明暦大火で焼失してしまう。
これを機にお上が悪所をもっと辺地に移してしまおうということで新天地として決まったのが、今回の場所だ。
人形町にあった元の遊廓は「元吉原」と称され、新たに移転してできたのが「新吉原」で、これは現在の特殊浴場街まで続くが、現在では「吉原」といえば「新吉原」を指している。

そして、地図を見ると長方形が北東に傾いているが、これには客と寝るときに北枕を避けるためだという説がある。
しかし、それよりも遊廓が設置される前にすでに山谷堀と日本堤があるので、それに並行して設置せざるを得なかったというのが尤もな説だろうと思う。


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吉原大門交差点

山谷堀を辿って、吉原大門交差点まで来たが、ここが今回のスタート地点。
ガソリンスタンドの前に一本の木が立っているのが見える。


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見返り柳

その木は「見返り柳」と呼ばれていた。
遊客が後ろ髪を引かれる思いでこの柳の下で振り返ることから付いたのだという。
幾度も植え替えられていて、現在の柳は六代目とか。


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五十間道

吉原大門交差点から入っていくと、S字型に曲がりくねった道が伸びている。
これはわざとこういう道にしたといわれ、その理由は外から遊廓が見えないようにするためだという。
その道の長さが五十間あったので「五十間道」と呼ばれているが、元々は勾配があった坂だったそうで、「衣紋坂」という名前もあった。
先程の見返り柳の写真に出ている石碑にも「新吉原衣紋坂」という文字が見られる。



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吉原大門跡

吉原大門
出典 『遊郭をみる』

S字状のカーブを終えると、その先は直線あるが、この辺りに大門があった。
「よし原大門」と書かれた案内標が立っているが、その脇に交番があるのは今も昔も変わっていない。
かつては遊女の逃亡防止が目的だったが。
因みに、引用したのは明治時代の吉原大門で、大火前のものだという。
両側に二本の石柱が立っていて、モダンなアーチ形のゲートでつないでいる。
その上には乙姫像が飾られているというものだ。


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仲之町通り

大門をくぐった先がメインストリートで、「仲之町通り」と呼ばれる。


吉原(戦前)

上の地図は戦前の吉原遊廓(昭和20年)なのだが、中央には植え込みがあり、通り沿いには引手茶屋や料亭が並んでいた。
引手茶屋とは、客を遊女屋へ案内する茶屋のことだ。
そういえば、現在も喫茶店の看板を掲げた店が多いが、さしずめ現代版「引手茶屋」ではないか。



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水道尻通り

そして、まっすぐな仲之町通りを抜けると再びS字状カーブに入る。
「水道尻」と呼ばれる通りだ。


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吉原神社

水道尻に鎮座する「吉原神社」は、四隅に置かれていたお稲荷さんを合祀したものである。
狛犬をよく見ると、男性器が付いているのが見られる。
場所柄なのだろう。


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吉原神社 灯籠

境内の灯籠には寄進者の名前が刻まれている。
昭和二十九年なので、赤線当時のもので、カフェーの屋号も見られるが、「金村」「松葉屋」は料亭である。


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吉原弁財天

吉原神社のはす向かいにある吉原弁財天は、その吉原神社の境内社である。
かつては大きな弁天池が広がっていたという。


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周囲の玉垣には妓楼の屋号や吉原芸者の名前が刻まれている。



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境内にも不二楼や角海老楼が寄進した灯籠や献木碑が立つ。
献木碑には芸妓組合、料理組合、幇間組合の名前がある。


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そして、新吉原カフェー喫茶組合の玉垣もひっそりと。


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吉原弁財天 吉原観音

境内には観音様が鎮座しており、その前に「戦災無縁塔」も立っている。
観音様を見ると、先ほど載せた吉原大門の上に飾られている乙姫像に似ている気がする。


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現在の弁天池


吉原遊廓は明治以降、幾度も焼け落ちている。
代表的なのが明治43年の吉原大火、大正12年の関東大震災、そして昭和20年の東京大空襲だ。
特に関東大震災はある炎から逃れようと弁天池に飛び込んだ遊女たちが多く溺死した悲劇があって、この観音像もその慰霊のために供えられたものである。

さて、遊廓の真ん中を端から端まで貫いたところで、次はいよいよ遊廓の中をさらに歩いていこう。

(後編に続く)