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(東京都台東区千束四丁目「吉原」)

前編からの続き、新吉原遊廓の散策。
現在は「台東区千束四丁目」という地番だが、住居表示変更前は「新吉原」を冠した町名だった。


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大門から貫く中央の通りがメインストリートで「仲之町通り」と呼ばれていた。
その両側に「江戸町一丁目」と「同二丁目」、「揚屋町」と「角町」、「京町一丁目」と「同二丁目」という風に分かれている。
そして、廓の周囲には「おはぐろどぶ」と呼ばれる水路が張り巡らされていた。
遊女の逃亡を防ぐ目的だ。


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羅生門河岸

大門から見て右側つまり東側の端の通りにあたるのが「羅生門河岸」と呼ばれていた場所だ。
この通りにおはぐろどぶが流れていたのだが、その水路沿いには平屋の店が長屋状に並び、料金も格安だったという。
当然、廓の中でも格式は最下層にあたる。


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京町一丁目 入口から微妙に勾配が見られる

その羅生門河岸の通りから京町一丁目の通りを見ると、入口から微妙に上り勾配になっているのがわかる。
手前が水路で、そこから向こうが盛り土で埋め立てられているので、高低差ができている。
因みに、この通りにはあまり特殊浴場の現役店舗が見当たらない。
昭和41年の風営法改正で「京町一丁目」と「同二丁目」は営業禁止区域に指定されたからだ。


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揚屋町 この通りが最も現役店舗が多く並ぶ

一方の揚屋町は現役店舗が多く見られる。
そして、送迎者がひっきりなしに出入りしていく。


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揚屋町通りの入口 勾配がハッキリ見て取れる

こうしてみると、勾配がハッキリと見て取れるのが分かる。
写真左側がおはぐろどぶで、右側が廓内だ。
この高低差は自然のものではなく、人為的に造られたものである。


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江戸町一丁目 現役店舗が片側に偏って密集している

江戸町一丁目の通りを見ると、写真右側に現役店舗が偏って並んでいる。
これは、左側が営業禁止区域に指定されているためである。
吉原の「トルコ風呂」は赤線廃止の昭和33年、「東山」の開店から始まる。
それ以来、赤線業者が次々と特殊浴場に鞍替えしたことで増加の一途をたどるのだが、それに歯止めをかけるべく昭和41年に風俗営業法が一部改正され、営業禁止区域の指定がなされた。
片側に店舗が見当たらないのは、営業禁止区域のエリアだからだ。


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吉原公園 十文字楼跡地

”大人のお風呂屋さん”が集まる吉原に児童公園がある。
実はここ、丸ごと妓楼だったのだ。
吉原では大店の一つだった「大文字楼」があったのがここである。
そして、公園の入口にはっきりとわかる高低差、手前がおはぐろどぶだった痕跡である。


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浄念河岸

さて、「羅生門河岸」に対して反対側の通りも見ておく。
こちらは「浄念河岸」と呼ばれているが、「羅生門河岸」と全く同じ場末の店が並ぶ通りであった。


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江戸町二丁目

浄念河岸から江戸町二丁目を見る。
店舗がない側は住宅やマンションが多い。
そして、新規に特殊浴場が入ってこなかったことで現在も赤線時代の遺構が見られる。


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江戸町二丁目 赤線時代の遺構たち

数こそ減らしてきているものの、独特な外観の家が今でも残っている。
客の目を引くために、外観に丸柱や曲面などアクセントをつけていたのだ。


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江戸町二丁目 空き地にはかつて赤線遺構が近年まであった

とはいえ、建物の経年による寿命、住人が不在で廃墟化など、その数は減らし続けている。


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角町

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京町二丁目

同じように角町、京町二丁目を見る。
角町や揚屋町の通りは現役店舗が最も多い通りで、日中も客引きが立っている。
それに対して、京町はそういった店がないので、安心して歩けるはずだ。


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京町二丁目 旧「正直」

吉原の町も変化が激しいようだ。
かつてこの通りには旅館が何軒か残っていたものが、ほとんどマンションなどに建て替えられている。
そして、この建物も最近までビヤホールだったが、看板も取り外され、居ぬきの駐車場となってしまった。


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京町二丁目と角町の間 至って閑静な下町の住宅街

特殊な店が立ち並ぶ通りから外れて、奥の路地に入ると、どこにでもある普通に下町の住宅街。
ここで生活している住人だったちゃんといるのだ。


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京町二丁目と角町の間 こちらにも赤線時代の遺構が

そんな中でもくまなく歩いてみると、往時の名残りが顔を出しているものである。
しかし、それもいつまで残っているんだろう。

吉原には過去にも幾度も訪れている。
過去の訪問について、こちらでも書いてあるので併せてご覧いただけたらと思う。